しりとり俳句
失礼失礼 - 哲罨
2024/04/26 (Fri) 21:25:48
携帯で書き込みしてます。
しばらく勘弁。
千枚田 - 哲菴
2024/04/26 (Fri) 17:56:31
水は田に復興能登の千枚田
「水は田に」「水」または「田」 - 伊々山
2024/04/26 (Fri) 17:02:55
こっつんの余波で
前文取り消しですネ
イオン水で淹れるコーヒー風光る 哲菴
風光る大井川から水は田に 伊々山
早いところは、もう田植えが始まっています
では「水は田に」「水」または「田」でよろしく
見なくなり - 伊々山
2024/04/26 (Fri) 16:48:47
こんにちは~
今日は曇り空で畑仕事は快調です。
なぜか身体が軽い。
いつもならあちこち痛くなるのだが
風に揺れ尻尾絡まるこいのぼり 哲菴
こいのぼり近頃なぜか見なくなり 伊々山
風光る - 哲菴
2024/04/26 (Fri) 16:48:22
イオン水で淹れるコーヒー風光る
ー風光る
こいのぼり - 哲菴
2024/04/26 (Fri) 11:43:35
風に揺れ尻尾絡まるこいのぼり
イオン水 - 川太郎
2024/04/26 (Fri) 07:21:26
おはようございます!薄曇りですね~。畑仕事には
丁度いい天気です。
哲菴さん リハビリ は順調のようですね。\(^ ^)/
花薊むらさき色の風に揺れ しんさ
を受けまして
風に揺れる莢豌豆やイオン水 川太郎
「イオン水」「イオン」「水」でどうぞ
まだ残り - 伊々山
2024/04/25 (Thu) 18:51:37
春の夜昨日の疲れまだ残り 伊々山
「春の夜」または「春」または「夜」 - 哲菴
2024/04/25 (Thu) 10:39:13
おはようございます。今日は晴。富士山が見えます。
病院の5階の窓から、霊峰富士に向かい、
四方拝、八宝菜
疫病退散、家内安全、国家安康
世界平和、一病息災、経過良好を祈ります。
被災地早期復興を祈ります。
将棋名人戦、またしても、藤井聡太八冠の逆転勝ち。
そいて、またしても「桂馬」が決め手だったらしい。
本日、辛いリハビリのあと、棋譜を並べてみよう。
さて、リハビリ前の 朝のしりとり俳句です。
髪切って渡るポン・ヌフ夏近し しんさ
「夏近し川の畔でオムレツを 哲菴」
・・・ 巴里の空の下オムレツのにおいは流れる
( 「ポン・ヌフ」はパリのセーヌ川にある歴史ある橋)
直訳すると「新橋」、日本の
「髪切って渡る新橋夏近し」
・・・日本の「新橋」はぴったりこない。
「髪切って渡る神橋夏近し」
「髪切って渡る大川夏近し」
・・・こちらのほうがすこしはましか
やはり、「ポン・ヌフ」は「ポン・ヌフ」
パリの明るい陽射しが似合いますな。
オリンピックも近いしね。
どちらかというと「髪切って」から「ローマの休日」の
オードリー・ヘップバーンを思い描いてしまいますね。
パリだから「カトリーヌ・ドヌーブ」か、只今80才。
ひょっとして、髪切って、爽やかにパリを散歩しているのは
「しんさ御夫妻」かー (^^ゞ
↓
夏近し回収袋のペットボトル 川太郎
「ペットボトル」「「ボトル」をいただいて
ペットボトル尿瓶代わりの春の夜 哲菴
(隣のベッドの爺様は、ペットボトルで作った「尿瓶」使ってます。
真夜中に、「妙なる調べ」を奏でてます。(^^ゞ
「春の夜」または「春」または「夜」でお後よろしく。
写真は、5階入院等の窓から見える、4月25日の霊峰富士
ペットボトル - 川太郎
2024/04/25 (Thu) 07:17:39
おはようございます!快晴です。うれしいな~(^_^)
哲菴さん 大手術だったんですね。それにしても6時間
は長かったですね。お疲れ様でした。
髪切って渡るポン・ヌフ夏近し しんさ
を受けまして
夏近し回収袋のペットボトル 川太郎
「ペットボトル」「「ボトル」でどうぞ
夏近し - しんさ
2024/04/25 (Thu) 05:56:03
おはようございます〜!
朝から3日振りの晴、昼は26℃と暑いよ。
>脊椎管狭窄症
黄色靱帯骨化症の診断。(難病指定)
膝の痛みは、黄色靱帯の影響だったのですか。
6時間!想像では、うつ伏せの手術のようですから、
哲菴さんガンバッタけど、お医者サマもご苦労さんでしたネ。
さて、
蒲公英を摘みきて君の髪に挿す 哲菴
↓
髪切って渡るポン・ヌフ夏近し しんさ
では、夏近し、で〜
蒲公英か - 伊々山
2024/04/24 (Wed) 14:23:11
こんにちは~
雨ばかりよく降ります。
今日はいままでと打って変わって寒い
哲菴さん、骨を削ったのですか
歯医者で使うようなやつで削ったのかなあ
背骨だから何本かは削ったのでしょうね
そういえば昔40年以上前だと思うけど、母が最終的には
奈良の病院まで行って、背骨の骨を3本ぐらい取ったのを
思い出した、
(背骨の中の神経が圧迫されて狭くなっているとか?)
どういう内容の手術かよく分からないけど、
当時の最先端の手術とか
長男は小学校に行き、まだ幼稚園にも入っていなかった
ので次男だけ連れて、奈良公園を散歩したのは覚えている。
多分3か月ぐらい入院してたと思う。
東名阪道を何度走ったことやらで今となっては懐かしい。
夏来る祭野郎の血が騒ぐ 哲菴
血塗られた戦場に咲く蒲公英か 伊々山